ポン助と妖狐は、死の臭いが漂う恐山を下り、人間たちが通る街道へと出ていた。 久しぶりに見る緑の木々や、土の匂い。 だが、今のポン助の目には、以前のような鮮やかさは映らなかった。
「いいか、ポン助。獲物が来たら、まず目を覗き込め。集中すれば『声』が聞こえる」 「へいへい、分かったよ……」
茂みに隠れて待つこと、半刻(約一時間)。 向こうから、一人の旅人が歩いてきた。
袈裟(けさ)を身にまとい、錫杖(しゃくじょう)をついた、立派なお坊さんだ。 あご髭を蓄え、口元で静かにお経を唱えている。 いかにも徳が高そうで、悪霊や妖怪など一睨みで追い払ってしまいそうな威厳がある。
「うへぇ……あんなの無理だよ。ありがたいお経で消されちまう」 ポン助が尻込みすると、妖狐が冷ややかに言った。 「見た目に騙されるな。……見ろ」
ポン助は意を決して、葉っぱの隙間からお坊さんをじっと見つめた。 黄金色の瞳が、怪しく光る。
(……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……)
最初はお経が聞こえた。だが、さらに意識を集中して、その奥にある「心」へ潜り込むと――。
『……あーあ、腹減ったなぁ。昨日の宿の飯、不味かったし』 『次の村まで行けば、葬式の布施(ふせ)で酒が飲めるか?』 『それにしても、この草履(ぞうり)、鼻緒が食い込んで痛ぇな。檀家(だんか)のババア、もっといい草履をよこせばいいのに……』
「……はぁ?」
ポン助は思わず声を上げそうになった。 聞こえてきたのは、お経とは似ても似つかない、「食い気」と「金」と「愚痴」のオンパレードだったのだ。
「なんだこいつ……俺より俗物じゃねぇか!」
恐怖心が一気に冷め、呆れが込み上げてくる。 ポン助はニヤリと笑った。 相手の「欲しいもの」が分かれば、化かすのは簡単だ。
ポン助は頭に葉っぱを乗せると、街道の真ん中に転がり出た。 そして、一瞬にして「金が詰まった、落とし物の財布」に化けた。
お坊さんの足が止まる。 周囲をキョロキョロと見回し、誰もいないことを確認すると、あご髭の奥でニタリと卑しい笑みを浮かべた。
「おや、仏様の恵みか……」
お坊さんが手を伸ばし、財布(ポン助)を掴もうとした瞬間。 財布が「べろべろばー!」と大きな舌を出して、巨大な妖怪の顔に変わった。
「ひ、ひいいいっ!? 化け物ぉぉぉ!」
お坊さんは錫杖を放り出し、お経も忘れて、情けない悲鳴を上げながら逃げ去っていった。 その後ろ姿は、威厳の欠片もなかった。
「けっ、ざまぁみろ!」
ポン助は腹を抱えて笑った。 だが、ふと足元に落ちている錫杖を見て、笑いが止まる。
「……人間ってのは、あんな立派な格好をしてても、中身はあんなもんなのか?」
茂みから出てきた妖狐が、愉しげに言った。 「そうだ。綺麗事の下には、必ず汚い本音がある。……どうだ? 今まで尊敬していた人間たちが、滑稽に見えてきただろう?」
ポン助は答えず、ただ静かに街道を見つめた。 勝利の味は、少しだけ苦かった。


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